| ● 奥の細道むすびの地 大垣 |
![]() 大垣市奥の細道むすび地記念館 内観1 ![]() 大垣市奥の細道むすび地記念館 内観2 |
![]() 芭蕉が初めて大垣を訪れたのは、貞享元年(1684年)、芭蕉最初の紀行文「野ざらし紀行」の途中、京都の北村季吟の相弟子であった俳友・谷木因を訪ねたときのことです。当時の大垣は、大垣藩十万石の城主戸田公の文教奨励もあり、谷木因の指導の下、俳諧が盛んでした。芭蕉の大垣俳壇に対する影響は大きく、その後「奥の細道」など、あわせて4度芭蕉が来訪する中で、「蕉風」俳諧は急速に広がっていきます。 また、大垣は揖斐川・水門川・杭瀬川などの河川を利用した舟運が盛んであり、大垣城にもほど近い船町港は、物資の集散地というだけでなく、舟で伊勢の桑名と直結していました。街道も東海道と中山道を結ぶ美濃路の宿場町であり、日本のほぼ中央に位置する大垣は、全国に通じる交通の要所でした。伊賀上野出身の芭蕉にとっては、全国を旅する上で、非常に便利な地だったわけです。 江戸時代の文化都市・大垣は、永遠の旅人である芭蕉にとって、旅をするにも滞在するにも非常に居心地のよい、いわばベースキャンプのような存在だったと言っても過言ではありません。 |
奥の細道むすびの地であり、あわせて4度も芭蕉が訪れた、西美濃の城下町・大垣。その大垣城のかつての外堀でもある水門川沿い、水と緑に彩られた「四季の路」に新しく誕生したのが「ミニ奥の細道」です。奥の細道の全行程およそ2,400kmを2.2kmに縮め、愛宕神社から奥の細道むすびの地まで、全部で22基(平成15年度は12基)の句碑をめぐる旅。それぞれの思いをのせて、お楽しみ下さい。 |
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